なぎさの奏夕鶴
〒976-0022 福島県相馬市尾浜字追川147
↑施設の外観
太平洋を望む雄大な眺めの大浴場、味覚の宝庫、松川浦の新鮮な食材を更に美味しく演出します。露天風呂付客室九室2005年オープン。
交通手段:JR常磐線相馬駅→バス福島交通松川浦行き約20分船越バス停下車→徒歩約5分
値段:10500~39900円
ホテル飛天
〒976-0023 福島県相馬市和田字中迫104−3
↑施設の外観
東洋医学治療センターを併設し、ハリ灸・マッサージ・漢方相談等もあり、海・温泉・料理・健康・美容と5拍子揃った快適なリゾート型温泉旅館です。
交通手段:仙台空港→バス仙台空港からJR館腰下車→JR常磐線館腰駅から相馬駅下車→タクシー約10分
値段:12600~26250円
相馬ステーションホテル
〒976-0042 福島県相馬市中村1−8−20
↑施設の外観
駅前交通至便、ビジネスや観光の拠点としてご利用をお待ちしております。家庭的なサービスでやさしくあたたかいシティホテルです。
交通手段:JR常磐線相馬駅→徒歩約1分
値段:6930~9765円
相馬旅行記
福島のおばあちゃん家(by げっぴーさん)
何年ぶりだろう・・・?
私の母の実家が福島県相馬郡にある。
とても田舎。
私が小さい頃は夏、冬は必ず福島に帰って過ごしたもんだ。
大好きだった・・・土地も人も全部が。
近所の駄菓子屋さん、夏は海が近いので海水浴、夜は蛍狩り、冬は雪合戦、凧揚げ。寝ると波と電車の音がして…
とっても★素敵★だった。
私にとっては‘ばあちゃん、じいちゃん’。
チーやあんなには‘ヒイばあちゃん、ヒイじいちゃん’の家。
すごい!
2泊3日だったけど、盛り沢山だった。
初日は混むのを避けるのに、早朝に出発し着いてすぐに子供は昼寝してしまったので―‘こう’と電車で仙台に行った。
(福島で電車に乗るのは初めて。1時間に1本、無人駅だよ)
そして花火、海で海水浴、庭でBBQ、日帰り温泉、もちろん墓参り。変わらない、福島でよかった。
ずーっと変わらないで・・・
京都遠征?西京極〜サンガ戦(by エムエム@浦和さん)
◇『久しぶりの西京極です♪』
私が最初に京都戦に行ったのは・・まだカズが京都に来るずっと前です。今年見に行かないと来年どうなるか
W杯旅?日本×豪州戦にて♪(by エムエム@銀座さん)
さてメイン・イベント日×豪戦です!
「運と実力を兼備えた友人」のお陰で
W杯に参加する事が出来たワケです
日本の命運を賭けた緒戦・豪戦では
私の名前でチケットを取ったせいか?
席は限りなく敵側のイエローセクター
そのイエローが一番駅から近いとか
わーい、ラッキー♪(^○^)/(^○^)/
日本の旅 みちのく文学を辿る【12】 黒部ダムと富山市(by さすらいおじさんさん)
糸魚川では「カチューシャの唄」、「春よ来い」、早大校歌「都の西北」などの作詞で知られる相馬御風(そうま・ぎょふう1883−1950)の生家を訪ね、JR大糸線で信濃大町に出て扇沢経由で黒部ダムに向かった。
黒部ダムは1956年から7年の期間と延べ1000万人の労力をかけて建設された。アーチ式ドームの高さは日本一の186mで、黒部川第四発電所の年間発電量・約10億kWhは、一般家庭約30万戸の1年分の消費電力に相当するそうだ。黒部ダム建設の苦難は木本正次(1912−1995年)が「日本人の記録・黒部の太陽」に著した。1968年には木本正次の原作に基き石原裕次郎(1934−1987年)と三船敏郎(1920−1997年)の2つの独立プロの共同製作で、熊井啓監督、石原裕次郎、三船敏郎らのキャストでの「黒部の太陽」が映画化された。石原裕次郎は後に「黒部の太陽」は生涯で最も情熱を注いで製作した映画だと語っている。独立プロとして初めての製作で多くの苦労があった石原裕次郎の執念を感じさせる作品だった。多大な労力をかけ苦難の末に完成した日本一のアーチ式ドーム・黒部ダムと黒部湖の景観は素晴らしかった。
富山では富山市役所の上部から市内の光景を見て、この旅で最後に観光した高岡では座高9・77mの青銅製坐像で北陸有数の大仏を拝観した。
富山県出身者の文学作品で最も印象に残るものは、プロの作家では無いが140万部を超える異例のロングセラー・井村和清著、1980年刊の「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」だ。井村和清(1949−1980年)は砺波市に生まれ医師になり沖縄県立中部病院、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務するが1977年に右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後に義足で職場に復帰するがまもなく肺への転移が見つかり自ら「余命6カ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りながら死の1カ月前まで医療に携わり、1980年1月、31歳の若さで砺波市内の自宅で亡くなった。「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」では「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい」と末期がんとの闘病生活の中で、妻倫子、長女飛鳥、そして当時、倫子の胎内にいた二女清子への思いのすべてを吐露している。1982年には名高達郎 、竹下景子主演で映画化され、テレビドラマ化や韓国語に翻訳もされている。この著書が長期に渡って愛読されているのは死に直面した時に子供達への愛情に満ちた遺言を残す一方、医師らしくがんとの壮絶な闘いから逃げず、生への執着をみせ最期まで医療に献身する姿が感動を呼んだことは勿論だが、同時に井村医師は「将来は老人が安心してリハビリできる病院を作りたい」という夢を抱く、「医師に最も求められている患者を思いやる優しい人柄」であったことも見逃せない。井村医師は医師であると同時に義足を付けた身体障害者であり、がん患者であった。身体不自由者の立場から健康な人達に「健康の喜びと感謝の気持ちを持つこと」を呼びかけている。
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがい
るお母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
健康であることをあたりまえのことと考え、感謝をしないことへの戒めの言葉には反省しなければならない。井村医師が患者に優しかったのは、自身が身体障害者かつ病身であり、患者の気持ちを良く理解できたことが大きいだろう。米国での「身体不自由な医師−Disability Doctor」の採用の是非を問う記事を読んだことがあるが、「身体不自由者の気持ち」を理解しながら心のケアもできる点で「身体不自由な医師」の存在は大切なことだと思う。井村医師の死後薬剤師の妻倫子は、故郷沖縄県石川市に薬局を開業し井村医師の遺志を継いで2人の娘を立派に育てあげたそうで頭が下がるばかりだ。
1993年の13日間のみちのくの旅は未知の世界を見て、新しい知識をたくさん教わった素晴らしい体験の旅だった。
(写真は黒部ダム)
酒田寒鱈祭り(by とらいもんさん)
1月21日(日)
例年の行事らしい「寒鱈祭り}のバスツアーに行ってきました。
昨年は猛烈な吹雪でしたが、今年は「無雪」の好天気でした。
しかし、残念ながら「鱈汁」は大混雑の行列でしたので「見物」だけで時間をすごしました。見物の後「相馬楼」と言う名の建物に行き「舞妓」さんの「踊り」と由緒ある「相馬楼」を見学してきました。あとは「羽黒山神社」で参拝してかあr「山伏の湯」につかって帰りました。
では写真で!